2019.4.2
TALK

水野良樹×糸井重里 Part 1
それは、喜んでもらえるからです

Prologue from Yoshiki Mizuno

「考えること」「つながること」「つくること」
この3つを、もっと豊かに楽しめる「場」を
自分自身の手で、つくりだしてみたい。
そんな思いから、このHIROBAを立ち上げました。

このHIROBAを始めるにあたり、まず誰に会いにいくべきなのか。
スタートラインにつくときに、お話を伺っておくべき人は誰なのか。

やっぱりそれは、糸井重里さんだ。
僕は、そう考えました。

「ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)」という、
20年以上の長きにわたって愛される素敵な「場」を生み出した糸井重里さん。
HIROBAという「場」を始めようとしている今、厚かましくも、たくさんのヒントをもらえるんじゃないか。
そう思って、糸井さんを訪ねました。

Part 1 それは、喜んでもらえるからです

水野すみません、また来てしまいました。

糸井あはは。いえいえ。何回目くらいでしたっけ?

水野ちゃんとした対談や打ち合わせというかたちでは、4回目くらいかと思います。それも(いきものがかりの)放牧や集牧のタイミングなど、自分にとって重要な場面で糸井さんにお会いさせていただくことが多くて。いつも何かあると、来てしまって。

糸井そうでしたね。

水野今回は、また新しいことを始めることになりまして…。

糸井いいですねー。

水野自分には、いきものがかりというグループがあって、これは自分のことでもあるけれども、同時にメンバーやスタッフがいて、自分だけのものでもないという存在です。一方で、グループのお休みの期間に楽曲提供のお仕事も始めて、これは他の方からいただいたお仕事を受ける、つまり、人様のことに自分が関わっていくというものです。

糸井はい。

水野それとは別に、もう少し自分に近いところで、いろんな人とつながったり、いろんな人と一緒に何かを考えてみたり。あくまで自分という個人の立ち位置を守りながらも、他者とつながって、物事をスタートさせてみたいなと思って。

糸井うん、うん。

水野それで、この新しいHIROBAというプロジェクトを始めてみようと思ったんです。

…なんですけれど、そんな風に言っておきながら、このHIROBAが何なのかと即答できる言葉を自分はまだ持っていなくて。まずは、まだぼんやりとしたイメージでしかない「何か」を見つけていくことから始めなきゃいけない。そのヒントが、糸井さんが経験されてきたことであったり、考えてきたことのなかだったりに、たくさんあるのではないかなと思って。今日は厚かましくも、勝手に押しかけてきてしまいました。すみません。

糸井いやいや(笑)。

水野「ほぼ日」が昨年創刊20周年を迎えましたが、その間、世の中にはさまざまなSNSやプラットフォームが生まれていきました。大きなムーブメントやビジネスになったものもあります。でも「ほぼ日」ほど、多くの人に愛されている「場」はなかなかないような気がします。それはなぜなんでしょうか?その理由から、まずお話を始めていきたいなと。

糸井うーん…それは、ものすごく…大きな話ですね(笑)。

水野ですよね(笑)。すみません。

糸井大きな話に入る前に、まず「ほぼ日」のことで言うと、僕らがホームページとして始めたことなんですね。大元をたどれば、ひとりで始めたことなんです。

水野はい、そうですよね。

糸井個人がホームページを作れるということで、雑誌の連載を持たなくても原稿を読んでもらえる場所ができたじゃないかってことで喜び勇んでいたんです。印刷をお願いしなくても個人雑誌が出せるなと。ただ、ひとりでやっていてもやっぱりつまらないかなというのがあって。

水野はい。

糸井僕は対談が好きなんですよ。
ひとりで書く原稿以上に対談の方が面白い理由は、話している最中に発見があるからなんですね。次々と思いついていく。それが楽しい。そう考えていくと、ひとりでやる個人雑誌ではないなと。

気心の知れている人であるとか、本業の商売は別にやっているけれど原稿を書きたい人であるとか。そういう人たちが集まればいいなと思って始めたのが「ほぼ日」なんですね。それをホームページで…。でも…今はもうホームページという言葉もあんまり聞かなくなりましたよね。

水野ああ。確かに。そうですね、もはや意識されなくなってきましたね。

糸井ポータルサイトでもないし、ブログでもなく、まぁ、そういう名前というか、言葉には縛られず…とにかく僕は読んでもらえれば何でもいいので(笑)。その意味で、自前のお店をやっている感じだったんですよ。

水野発信したいという気持ちは糸井さんにはあったんですか?

糸井うーん、あんまり…ないですね。

水野ははは(笑)。自分ひとりの世界だけでなく、外に出そうと思った、その動機というのは何だったんですか?

糸井それは、喜んでもらえるからです。

水野ああ。

糸井イメージとしてあったのは僕がよく出していた長い文章の年賀状なんです。800文字くらいだったかなぁ。手書きの文字で「僕はこんなこと考えているんですよね」みたいなことを毎年書いて、年賀状で送っていたんです。そうしたら「あれ、いいよね」「ああいうの、しょっちゅう書いてよ」って言われて。

水野いいですね。

糸井よく考えたら「頼まれないで、気を遣わないで書いている原稿ってあれだけだな」と。そんなのでよければいくらでも書くよっていうのがヒントだったんです。

水野そうしたら20年間ずっと書いているという(笑)。

注釈:「ほぼ日」では糸井さんが執筆するエッセイ「今日のダーリン」をはじめとするさまざまなコンテンツが「ほぼ日」開設以来20年以上、1日も休まず毎日更新されている。

糸井そうそう(笑)。それが毎日できるとしたら、面白いぞと。
言いたいことというよりは、友達とばったり会って「お茶でも飲もうよ!」っていうような。まさに今日水野くんが来てくれたのも同じようなことですよ。

水野あ、ありがとうございます…。

糸井そのときに「僕はこういうこと考えているんだけどさ」とか、それに対して相手が何かを感じて「俺はそれ違うと思うんだけど…いや、逆にね」とか、そういうやり取りをするのが僕は好きなんで。だから、自分の考えを発表したいというよりは、お話のタネを持ってきて、みんなで遊びましょうというか、おもちゃを差し出すようなつもりで始まっているんですよね。

水野ああ、なるほど。

糸井これも今、しゃべりながら思ったんだけれど、歌も同じようなことなんじゃないですか?

水野歌もですか?そうか…。

糸井違うかなぁ。「俺はこういうことが言いたいんだ」というよりは「俺はこういうのが好きだよ」って言ったら、みんなが「そうだ!俺も好きだよ」って反応するような。

水野ああ、なるほど、そういう意味で。確かに似ているかもしれないですね。

(つづきます)

糸井重里(いとい・しげさと)
1948年生まれ。
「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰。
コピーライターとして一世を風靡し、作詞や文筆、
ゲーム制作など、幅広いジャンルでも活躍。
1998年にウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げる。
近著に『他人だったのに。』『みっつめのボールのようなことば。』など、
共著に『すいません、ほぼ日の経営。』がある。
糸井重里Twitter
ほぼ日刊イトイ新聞

Photo/Kayoko Yamamoto
Text/Go Tatsuwa
Hair & Make/Yumiko Sano

同じカテゴリーの記事