2019.4.15
MUSIC

HIROBA Part 1
「一緒に曲をつくってくれませんか」

STORY with KAZUMASA ODA

どこから語ればいいのかわからない。
語るだけ野暮だというのもあって、
それはあのひとの背中を前にしたときに
いつも思うことでもある。
あのひとは多くを語らない。
とくに作品について無駄なことをしゃべらない。
大仰なストーリーを付け加えたり、
冗長になりがちな技術論を語ったりもしない。
美化をしない。言い訳をしない。
ただ丁寧につくられた音楽がそこにあり、
ただ丁寧に歌われた言葉がそこにある。

ひるがえって自分を見れば、
まだ浅はかなこの若輩は、よく喋る。
喋りすぎて、今回の制作のなかでも
「そんなに理屈っぽくならなくていいから」と優しく、
しかし鋭く、あの静かな声でたしなめられたことがあった。
またぐだぐだと喋っているのかと怒られそうだけれど、
あのひとはそもそも多くを語らないから、
自分が語らないとこの歌がつくられていく過程が、
そしてそのなかで生まれたいくつかの物語が、
誰かに伝わっていかない。
それは、少しさびしい。

「幸せな時間でしたね」
つい先日、あのイチロー選手とたった1試合ではあるけれど、
チームメイトとして公式戦を戦った菊池雄星選手が、
記者会見のなかでイチロー選手について訊かれたときに、
長い沈黙のあと、やっと絞り出した一言が、それだった。

とても素直でシンプルで、かつ重みのある素敵な一言だった。
彼の熱い言葉を拝借するわけではないのだけれど、
あのひとと向き合って歌をつくるという時間が、
どういうものだったかと問われれば、
自分も菊池選手のようにこみ上げる感情を喉元に感じながら
「幸せな時間でしたね」と言うと思う。
いや、制作が終わったときに、実際に言った。

HIROBAの第一弾の音楽作品は、
尊敬する小田和正さんとのコラボレーション楽曲です。

「昔はコラボレーションだなんて言わなかった。“一緒にやろう”だったよ」

そう言われたからといって、
軽々しく、あのひとに声をかけられるわけもなく。
勇気が必要なことだったし、念願が叶ったことでもありました。

「YOU」そして「I」
2つの楽曲ができあがるまでのストーリーを、
ここで話していきたいと思います。

Part 1 「一緒に曲をつくってくれませんか」

2017年の冬のことだ。
だから、もう1年半ほど前のことになる。

毎年出演させてもらっているTBS「クリスマスの約束」の本番日。
無事に収録が終わり、会場内で行われた小さな打ち上げ。
乾杯を終え、出演者たちで記念写真。なごやかな空気のなか。
そこで自分はひとりだけ、緊張でそわそわとしていた。
まるで恋の告白を控える少年のように。

別れ際だった。
覚悟を抱いて、その背中にかけた、ひと声。

「一緒に曲をつくってくれませんか」

一瞬、驚いた顔をしたが、そのひとは即答した。
詳しいことは、たずねなかった。
ただ一言で返してくれた。

「おお、いいですよ」

シンガーソングライター。小田和正。

恩人だ。
いきものがかりが世に出た2006年の冬に
デビュー曲「SAKURA」を番組で取り上げてもらって以来、
後輩としていくつもの場面でその胸を借りてきた。

たくさんの会話を交わす幸運にも恵まれた。
音楽のことも、それ以外のことも。

「クリスマスの約束」の打ち合わせやリハーサルは、
小田さんの作業オフィスで行われることが多く、
そこでは決まって夕飯に出前をとってくれる。
中華の弁当を、いつも一緒に食べた。
そこでの雑談は、とりとめもないものだけれど、
だからこそ本音や裏話がこぼれたりもして、
後輩にとっては先輩方の得難い話がたくさん聞ける。

要さん、大橋さん、常田さん。
委員会バンドの面々はいつも明るい。
真剣な話のときもくだらない雑談のときも、
小田さんは仲間がいることがどこか楽しそうだ。

委員会バンド:TBS「クリスマスの約束」での共演をきっかけに結成されたバンド。メンバーは小田和正、スターダスト☆レビュー根本要、スキマスイッチ大橋卓弥、常田真太郎、いきものがかり水野良樹。番組出演の他にも、各地のフェスなどへ出演したことがある。

自分はもう30代なかばを過ぎているが、
現場では最年少で、いつも腹をすかせていると思うのか
「ほら、食べなよ」と追加注文した餃子をよくすすめられる。
またそれが、いつも美味い。
その出前、ちょっと高価な中華屋さんのものであることは、
ずいぶん前に気づいていた。普通の弁当屋の値段じゃない。
「さすが小田さんだな」
偉大さを変なところに感じて
以前はご馳走になることに恐縮ばかりしていたのだが、
最近ではもうすっかりメニューも覚えてしまって、
遠慮もせずに頂くようになってしまっていて、いけない。

後輩として、緊張していないとまでは言えない。
小田さんを前にすると今だってピリッとするが、
でも前よりは、だいぶ力を抜いて
話をさせてもらえるようになっている。

「よし、そろそろ戻りますか」

小田さんの一声で空気が、ほど良く締まる。
「ごちそうさまでした」とみんなが口々につぶやき、
それぞれ席を立って、そしてまた練習に戻っていく。
ギターを抱えて、歌い出せば、また全員が真剣になる。
毎年、いつもの光景だ。

これは、何気ない、ほんの一場面。
出会って13年経って。
こんな部活動のような空間を
何度も、ともに過ごさせてもらってきた。

近いところで、その背中を見せてくれた。
聞けば多くのことを教えてくれたし、
話せば多くのことに耳を傾けてくれた。

羅針盤を持たぬまま大海原に出てしまったような自分にとっては
小田和正というひとの存在は、指針だ。憧れだ。希望だ。

だが、言えなかった。
いや、だからこそ、言えなかった。
踏み越えてはいけないなと思っていた線がある。

一緒に曲をつくる。

自分の持ち場は、自分で責任を持って全うしなければならない。
小田さんに「一緒に曲をつくってくれ」と頼むことは
作品づくりという根幹において、小田さんに頼ることにならないか。
そこを甘えてしまっては、
小田さんに出会ってからこれまで経験させてもらってきたことを、
むしろ反故にしてしまう気がする。

そう思って、そのたぐいの話は一度も口にしたことがなかった。
今まで膨大な時間を一緒に過ごさせてもらってきたけれど、
勝手に、自分のなかでの禁として閉じていた。

安易に踏み出してはならない。
ゆえに、これを頼むことは
自分にとって小さな出来事ではなかった。

「大切な話だなとは思ったよ」

レコーディングが終わったあと改めて二人で会話したときに、
依頼を受けた日のことを振り返って小田さんはそう言った。
小田さんはおそらく、多くを気づいていたのだと思う。

だからなのか、わからないが。

曲づくりを始めてから完成まで、
はたして6カ月もかかってしまった制作期間のなかで、
多くの言葉を交わしながらも、小田さんが水野に投げかけていたことは、
このたったひとつの問いに集約されていた。

「理由は、なんだ?」

そもそも、ひとりで詞も曲も書いてきたお前が、
一緒に曲をつくってくれと言ってくる理由はなんだ。
これまでそれを口にしなかったお前が、踏み出した理由はなんだ。

「こっちは、(水野のなかにある)その“理由”に応えなきゃいけないんだからな」

その“理由”に答えていく旅が、「YOU」と「I」の曲づくりだったのかもしれない。

(つづきます)

Text by YOSHIKI MIZUNO(2019.4)

Photo/Kayoko Yamamoto
Hair & Make/Yumiko Sano

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