2019.4.18
MUSIC

HIROBA Part 4
「YOU」と「I」

HIROBAの第一弾の音楽作品は、
尊敬する小田和正さんとのコラボレーション楽曲です。

「昔はコラボレーションだなんて言わなかった。“一緒にやろう”だったよ」

そう言われたからといって、
軽々しく、あのひとに声をかけられるわけもなく。
勇気が必要なことだったし、念願が叶ったことでもありました。

「YOU」そして「I」
2つの楽曲ができあがるまでのストーリーを、
ここで話していきたいと思います。

Part4 「YOU」と「I」

曲づくりのなかで最も時間を割いたのは、
メロディやアレンジのやりとりよりも
言葉のやりとり、歌詞のやりとりだったように思う。

「どこまで言っていいものか、わからなかった」

頭ごなしに否定したり、自分の趣向を押し付けたりするようなことはしたくない。
小田さんは曲づくりに入る前から最後まで、その距離感の取り方に迷っていたという。

とはいえ嘘をつくひとではない。
良くないものを、良いとは言わない。
だから、指摘は遠慮のない言葉として出てくる。

「シンプルに」

メロディ同様に、むしろメロディよりもさらに徹底していた。
それでいて言葉から膨らむイメージがあるもの。量感があるもの。
湾曲表現を嫌った。

歩道に立っている。目の前に車道がある。
その道を渡った先の向こう側に「言うべきこと」があったとする。
そこにたどり着くにはどうすればいいか、頭を悩ませて書き始める。
水野はまわりを見回す。
ここから数十メートル離れたところに向こう側に渡れる歩道橋がある。
そこまでわざわざ歩いていって、歩道橋の階段を上り、車道を越え、
また、もともといた辺りまで戻ってきて目的の場所にたどり着く。
ようは遠回りをして、やっと「言うべきこと」にたどり着く。

それが小田さんは躊躇なく、時間をかけることもなく、
目の前の道をまっすぐにスタスタと渡っていく。
最短距離で「言うべきこと」にたどり着く。

それは実力差でもあるし、
何が大事か、見えているか見えていないかの違いでもあるように思う。
表現に迷うとき、とても短時間で
シンプルに言い表せる言葉を口にするので、
それには何度も驚かされた。

しかし、曲を書いている人間というのは厄介なもので、
とはいえ、どこかに自信がある。
奥の奥では、自分なりの確信をわずかでも隠し持っていないと、
曲を最後まで書くということはできない。
自分にも少なからず、それはある。
何が言いたいかというと、たとえ小田さんであれ違う書き手。
小田さんが「これはどうだろう」と提示してくれたことも、
「違う」と思ってしまうことがある。

そして、その「違う」に向き合うことそのものが
小田さんに問いかけられていたことへの答えにつながるのだろうと思う。

「理由は、なんだ」

ひとりで曲も歌詞も書いてきたお前が、
なぜ今「一緒に曲をつくってほしい」と声をかけてきたのか。
その理由はどこにあるのか。
自分は、(水野のなかにある)その理由に応えなくてはならない。

小田さんとのすべてのやりとりのなかで、
いつもその問いが芯にあった。

なかなか答えきれなかった。
だが、かろうじて最後に言ったのは

「ひとりで完結してしまうことを越えてみたかった」

自分の価値判断に従って、
自分が良いと思うものを、書き切ることは多分できる。
でも、それだけでいいんだろうか。

互いに「違う」があるということ。
「違う」を抱えている二人が、向き合って、
相手に敬意を持ちながら、
素直に言葉を交わして、
お互いにじり寄って、その「違う」を越える。
そして、なんとかひとつの作品をつくるということ。
そこにこそ価値があるんじゃないか。

いや、自分が知らない“何か”があるんじゃないか。

「人と人とは、分かり合えない」

歌詞を書いているやりとりのなかで、
小田さんに水野が散々伝えたことだ。
言葉を二人で考えているときは、結局、表現の技術についてよりも、
その背景にある考えについて、とりとめもなく話すことが多かった。
別に唯一の答えを見つけ出そうとしているわけじゃない。
ただ言葉を交わして、二人で考えることが、豊かな時間だった。

どこか禅問答のようだった。
小田さんは真正面から否定することはなかった。
ただ、歌詞の言葉のひとつひとつを選ぶとき、
その選択に水野とは異なる考えが滲んでいた。

歌詞ができあがると、そこに小田さんの考えが、浮かび上がってくる。

「いや、分かり合えるんじゃないか?」

すべてのやりとりは、結局、作品のなかに凝縮されて詰まっていく。
異なる二つの考えが、作品のなかで混じりあっていく。

そうやって新しいメッセージそのものになっていった歌を、
小田さんは最後の最後で、
水野にひとりで歌わせようとした。

「やっぱり、ボーカルは一人で(=水野だけで)いいんじゃないか?」

レコーディングの終盤。
ミュージシャンを集めたオケのレコーディングが終わり、
歌入れに移行して、慣れない水野のボーカルレコーディングが
小田さんに導いてもらいながら、ある程度進んだ頃。
言われそうな気はしていたが、ついに言われたなと、思った。

「恐ろしいこと言わないでくださいよ」
「いや、もうひとりでいいだろ」
「一度考えてくるんで、明日また話をさせてもらっていいですか」

作品が完成したあとの対談で小田さんは言っていた。

「歌うと変わらざるを得ないだろうなとは思ったんだよ。
そこを通ってほしかったんだよね。
一緒に何かをやろうってなったときに、
何よりもまずは(水野に)“歌を懸命に歌わせよう”と。
それは最初に思ったよね」

いきものがかりというのは、
考えてみれば少し特異なグループで、
歌う人間とつくる人間が違うというグループだ。
水野や山下が書いた言葉、メロディを、
まったく違う人間性をもった吉岡が歌う。

自分の言葉が他者に歌われることによって普遍性を獲得する。
そういうグループに長く、身を置いてきて。
おそらく逃げていたものがある。
そこを小田さんは経験させようと思ってくれていたのだと思う。

「もっと歌と近くなって、本人が本人の書いた言葉で
本人の声で歌うっていうことを、ちゃんと体験してほしい」

だが、このときばかりは「わかりました」と言えなかった。

小田さんに、散々向き合って歌を一緒につくってもらって、
最後の最後でひとりで歌うことまで導いてもらって、
それじゃ、結局、自立ではない。
そして最も大事な、小田さんとの“対峙”ではない。

誰にでも予想がつくことだが、
小田さんと一緒に歌えば、100%、水野の声が負ける。
小田さんの歌声が一節入った瞬間に、すべてのひとの耳が
そちらに意識を集中させる。
さすがにあの声を前に、今回初めて歌うような人間の声が、
まともに張り合えるわけがない。
そんなこと、わかりきっている。
若輩だけれど、さすがにそれがわからないほどの、経験不足じゃない。

だがそこに意味がある。
向き合うことに意味がある。
言うならば、負けてしまうことにも意味がある。
実力差も、経験の差も、互いの「違う」の差も、
すべてをひっくるめて、小田さんと向き合う。
最後の最後まで向き合ってもらう。
そこに「一緒に曲をつくってくれませんか」と言った意味があった。

わがままを言って、食い下がった。

ボツになった曲がある。
完成間近まで行って、小田さんの判断もあって、ストップしたあの曲。

「あの曲を最後まで書いて、ひとりで歌って、完成させます」

小田さんが経験させようと思ってくれたこと。
それも小田さんの気持ちではある。
それに対しては感謝の気持ちしかないし、
そこに自分も応えなければならない。
自分のために、与えてくれた課題。
それには、あの曲で自分なりに答えを出す。

「でも、この曲は小田さんと向き合うことに意味がある。だから一緒に歌ってください」

なかなかにしびれる時間だった。
数分の会話でのやりとりだったと思う。
小田さんは頷くでもなく、静かに聞いてくれた。

そして一言。

「俺は無し(=水野がひとりで歌う)をおすすめするけどね」

と笑って席を立ち、ブースに入っていき、マイクの前に立ってくれた。

小田さんがマイクの前に立ったのは、
半年間でそのときが初めてだった。

歌ってくれた。

小田さんと向き合ってつくった曲のタイトルを「YOU」とした。

そしてひとりで最後まで完成させることを選んだ曲のタイトルを、
あえて「I」にすることにした。

「YOU」と「I」

まさにHIROBAにとって、
テーマになりえる言葉をタイトルにできたと思う。

この2つの作品で、
HIROBAはスタートできた。

(おわり)

Text by YOSHIKI MIZUNO(2019.4)

Photo/Kayoko Yamamoto
Hair & Make/Yumiko Sano

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