2019.4.26
TALK

水野良樹×高橋久美子 AFTER TALK with
KUMIKO TAKAHASHI

3人組は、3人組が気になる。

4人組バンドが、4人組バンドを意識する。
という話はあまり聞かない。
ありふれているからだ。

AFTER TALK with
KUMIKO TAKAHASHI

3人組は、3人組が気になる。

4人組バンドが、4人組バンドを意識する。
という話はあまり聞かない。ありふれているからだ。
東京スカパラダイスオーケストラの皆さんや、
米米CLUBの皆さんなど明らかな大所帯だと、
「うちの方が多いね」とか「大人数だとこんなことあるよね」といったような
“あるある”ともいえるような話題が出てくるのかもしれないが、
グループやバンドを語るときに、楽器構成でもなく性別構成でもなく、
とっても単純な“人数”が重要なトピックスとして話題に出るのは、
3人組のときが一番多いのではないだろうか。

もちろんグループによりけりだろうけれど、3人組はバランスが重要だ。

常に多数決が成立してしまう構成だ。
うちの場合はメンバーで衝突するとなると、いつも水野と吉岡だ。
話すのもお恥ずかしい兄妹喧嘩みたいなことを、今までなんどもやってきた。

移動車のトランクにスーツケースを先に入れるか、
それとも楽器を先に入れるかで、揉めたことがある。
差し入れのシュークリームを気配りなしに
真っ先に食べ始めた水野が許せなかったと
吉岡がいまだにそんな笑い話をする。

これらはささいな衝突だが、
小さな不満が積もっていけば、
いざ重要な決め事を目の前にしたときに、
溜まりに溜まった不満がガソリンとなって、
双方、ここぞとばかり燃焼するときもある。

1対1で均衡を保って戦っていればいいが、3人組はそうはいかない。
残された山下が吉岡につくか、水野につくか。
それであっという間に構図は2対1となり雌雄は決してしまう。
熱を発する二人に対して、冷静なる傍観者だった山下が、
いつもキャスティングボートを握る。

そこで、あいつは偉い。
いつも無敵の一言を発する。

「どっちでもいいんじゃね」

もうこの言葉を世界中で流行らせたら、
うっかり世界平和が実現するんじゃないかとさえ思ってしまう。
ジョン・レノンもびっくりのラブ&ピース。

「MOTTAINAI(もったいない)」や
「OMOTENASHI(おもてなし)」の次は

「DOCCHIDEMOIINJANE(どっちでもいいんじゃね)」

ローマ字にすると字数が多い。
たぶん流行らない。

良くも悪くも我が強くない山下は、
物事を決定的にさせないで、
うまいことソフトランディングさせる。
ぶつかりあう2人を、ふわっとくるみ、
グループ内に沈殿した緊張感を
軽くさせ、上昇させ、やがて蒸発させる。

繰り返す。
3人組はバランスなのだ。

そのトライアングルは、
いつだって微妙な均衡によって成り立っている。
だから成立しているだけでそれは十分に奇跡と言えるし、
一度、安定してしまうとこれほど居心地の良いものもない。

山下があと大さじ1杯分、我を出してきたら、
まとまるものもまとまらない。
かといって、吉岡や水野が主張を薄めたら、
グループとしての熱量も半減してしまう。
安定は強固だが、その分、ほんの少しの変化で景色が変わる。
崩れたときの反動も大きい。

3人組とはなかなかにシビれる編成だと、いつも思う。

だから理由はどうであれ、
そのトライアングルを飛び出していくということは、
固い覚悟が必要なことだ。勇気のいることだ。
冷たさを含んだ強い風が、その背をめがけて襲ってくることが容易に予想できる。

もうずいぶん昔のことになってしまったけれど、
彼女がチャットモンチーという場所を離れたときは
本当に「よく、出たね」と驚いたし、
そして二人となっても、立ち止まらず前に進むことを選んだメンバーの姿にも、
本当に「よく、残ったね」と驚いた。

一度、みんなで楽しく食事をしただけの仲だったから、
完全なる外野の傍観でしかない。
内実はおそらく単純であるわけがない。
「よく」などという言葉も、
それぐらい無責任な立場だからこそつけられる
不遜な形容詞だ。

でも、とにかく、たぎっているであろう、
おそらくその胸に煌々と燃えているであろう、
彼女たちそれぞれの闘志に、
あのときは遠くから、ずいぶんと刺激を受けた。

言葉にはしなかったけれど、
誰にもそんな気持ちを話したことはなかったけれど、
もしかしたら自分にも来る未来かもしれないと、
かすかに思ったことを、今なら正直に話せる。

たしか彼女が初めて出したエッセイ集。
少し記憶が定かじゃない。
送ってくれたような気もするし、
自分で買ったような気もする。
それを「読んだよ」ということを彼女に伝えた。
すると彼女は、現状への悔しさをわずかににじませたうえで、
決意を感じさせる言葉を、メールか何かで返してくれた。
ただ、そのことだけを覚えている。
 
この世界には、
仲良しこよしというわけでもなく、
頻繁に言葉を交わすわけでもない。
むしろ「友達だ」と表で言ってしまうことも、
少し躊躇してしまうくらいの距離だけれど、
勝手に、同志だなと思える人。
その仕事や、言動や、それらによって生まれる輝きを、
自分への刺激として、いつも視野に入れておきたいなと思う人が何人かいる。

久美子ちゃんは、そういう存在だった。

あのときの彼女の覚悟に、
今の自分も、少しだけ追いつけてきたような気がする。

強さを誇示して前面に出すよりも、
それを優しさでくるんでいる人のほうが信頼できる。

匂いや、甘さで棘をごまかすよりも、
自分のなかに在ってしまう鋭利な武器に、
恐れを持って向き合える人のほうが信頼できる。

感情や才能という言葉で片付けず、
技術というものがもつ尊さに、
誠実な人のほうが信頼できる。

まず「聞く」ことから始められる人のほうが信頼できる。

否定から物語を始めず、
新しい答えを探そうと、
ともに考えられる人のほうが信頼できる。

それらにはすべて静かな覚悟が必要で、
その点においても、
自分も少しだけ、
彼女に追いつけてきたような気がする。

だから、生意気にも思うのだ。

ともに歌をつくるには、
僕らは、とてもいい季節に入ってきたと思う。

Text by YOSHIKI MIZUNO(2019.4)

Photo/Kayoko Yamamoto
Hair & Make/Yumiko Sano
Styling/Miwa Nakayama

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