2019.4.30
ESSAY

HIROBA HEISEI → REIWA

すべてのことに名前をつけることで
僕らはこの混沌とした
とらえどころのない世界を
自分たちを
そして誰かを、理解する

HEISEI → REIWA

すべてのことに名前をつけることで
僕らはこの混沌とした
とらえどころのない世界を
自分たちを
そして誰かを、理解する

喜び、怒り、哀しみ、楽しみ

本当は感情というものに輪郭はなく
たゆたう水面のように
それらはなだらかにつながっていて
判然とせず
連続であるはずなのだけれど
それでは想いを伝えるという幻想も
わかり合うという幻想も
いずれも享受することができないから
頃合いの良いあたりを仕切り
こちらから右は喜び
こちらから左は怒りと
ひとまずの名前をつけていく

そうすることで僕らは
心のなかに満ちてくるものが
いったい何であるのかを
理解したつもりになって
ときにそれを吐露し
ときに誰かの心の有り様を
その名前たちを秤のように使って
つかめるはずがなくとも
つかもうとする

わたしは喜んでいる
あなたは怒っている
彼は哀しんでいる
彼女は楽しんでいる

名前をつけることによって
見えなかったものが
見えたように思えて
わからなかったものが
わかったように思える

それらは虚構であるし
誤解も多く生むけれども
その揺らぎを許しながらでも
とにかく名前をつけなければ
ぼくらは世界について
何も知ることができないし
おそらく誰かと、生きてはいけない

だから僕らは
名前をつける

それらの願いが
すべて幻想に終わるとしても
誰かとわかりあうために
誰かと語りあうために
目の前にいてしまう
誰かと生きるために

名前をつけることには
つまり、意志が内在している

時代が
変わるという

朝、昼、夜

日、月、年

春、夏、秋、冬

明治、大正、昭和、平成、そして令和

連綿と流れる“時”も
断裂がなく
向こうからやってきては
過ぎ去ってしまうものだ

とらえどころもなく
つかみどころもない

大まかでも、細かくでも
その悠久の営みのどこかに
しるしをつけて区切り
とらえどころのない
つかみどころのない
“時”を
僕らは理解しなければならない

見えるはずのない“時”を見て
語れるはずのない“時”を語る

それが
境も支柱もない
あいまいで流動的な“時”のなかで
誰かとともに生きるために
必要なことであるからだ

僕らは今までも
(そしておそらくこれからも)
手を振るべきものを“過去”と呼び
眼前に在るものを“現在”と呼び
出会いたいと願うものを“未来”と呼んだ

これまで“現在”であったはずの平成は
新しく生まれた令和という名が
来たる“時”に与えられることによって
ついに真の意味で
手を振るべき“過去”となる

とらえどころのない
つかみどころのない
理解しえない混沌であるはずの時代を
僕らはいつも
“過去”になった途端に語り始める

いつだって
“現在”を生きなくてはならない者たちが
いちばん夢中であり
いちばん大変だ

だから“過去”はいつも
“現在”に奉仕させられる
歴史とは往々にして
“現在”によって描かれる
美しすぎて、悲しすぎる、絵だ

もう“過去”となって久しい昭和は
惨劇と熱狂とが
渦のように交錯した時代として
飽きるほどに語られてきた
飽きるほどに使われてきた

平成が
“現在”であるために
もしくは
希望を抱くに値する
“未来”であるために

ときに憎しむべき悲劇として
ときに乗り越えるべき課題として
ときに追いかけるべき理想として
ときに郷愁を与えてくれる虚構として
ときに倫理を裏付ける物語として
実にさまざまに
いくつもの必要に応じて
昭和は語られ尽くされてきた

“過去”としての昭和は
もはや育ちすぎたと思う

かの時代の輝きと闇に
僕らはもう
惑わされてはならない
僕らはもう
甘えてもならない

これから
新しい“現在”となる令和には
平成という
新しい“過去”が必要だ

だから
その意味において平成は
今宵、“現在”としての眠りにつき
明朝、“過去”として再び目覚める

そして僕らは
令和を生きる

陽が沈み、陽が昇る

おそらく
今日と明日の境に起こるその出来事も
今までと変わらないはずだ
世界は変わらない
世界はもしかすると
一度も変わってはこなかったのかもしれない

新しい名前が
“時”に与えられる
たったそれだけのことだと
誰かが言う

たしかに
この混沌とした世界にとっては
それは小さなひとつの
変化でしかないのかもしれない

だが
僕らの心は、違う
世界が変わるのではない
世界が変わってきたのでもない

いつも
僕らが変わるのだ

いつも
僕らが変わってきたのだ

いつだって時代は
変わるのではない
変えるのだ

新しい“過去”を自由に語り
新しい“未来”を自由に願う
“過去”も“未来”も
もう僕らの手にある
“現在”を生きるとは
そういうことだ

そこから
絶対に目をそらしてはならない
僕らが主人公であることを
逃げてはならない

そして
前を向けばいい

夜明けだ
“現在”を生きる者として
朝をともに迎えよう
ともに起き上がろう

繰り返す

はじまるのではない
はじめるのだ

さぁ、新しい“現在”だ

生きよう

HIROBA
2019.4.30 → 2019.5.1
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