2019.5.31
ESSAY

HIROBA 「余白」という広場

しゃべりすぎる。書きすぎる。

今までの人生で、何度言われただろうか。
自分と近い距離で仕事をしたことがある方々は、
ちょっとでも熱が入ると、この男が途端に早口で喋り始め、
「ああ、このひとスイッチが入ると、こういう感じなんだな」
「というか、最初なんのこと喋ってたっけ?」
「え、それ、いま関係ないだろ。蛇足すぎるだろ」
と思ったことが、あるのではないか。

「余白」という広場

しゃべりすぎる。書きすぎる。

今までの人生で、何度言われただろうか。
自分と近い距離で仕事をしたことがある方々は、
ちょっとでも熱が入ると、この男が途端に早口で喋り始め、
「ああ、このひとスイッチが入ると、こういう感じなんだな」
「というか、最初なんのこと喋ってたっけ?」
「え、それ、いま関係ないだろ。蛇足すぎるだろ」
と思ったことが、あるのではないか。

業務関連のメールも長文になりがちだ。
要点を短文でさっと伝えれば済むところを、
その理由と雑感も含めて、1から10まで書いてしまう。
夢中になって書いてしまって、読みなおしては嫌になる。
「また、つまらないものを書いてしまった」

画面が文字で埋まる。目を通すのにも骨が折れる。
なんだかすすんで読む気がしない。
長いゆえに大事な内容が頭に入ってこない。
文字がいっぱいで、もう目がチカチカするな。
面倒だから、あとで読むことにしようかな。
そう思われてしまって、
また相手をうんざりとした気分にさせてしまっているのではないか。
それが怖くて夜も眠れず、
しょうがない、書き直すか。とPCを開き、
薄暗い部屋のなかで青白く光る画面に、
それ以上に青白く不健康な顔を近づけて
また文字を打ち込む。長々と。
繰り返す、負の連鎖。

というふうに自意識過剰になって、
つらつらと述べはじめているところが、
もはやその一端をあらわにしてしまっているのかもしれない。
端的に言えばいいのに。
そう、テーマを。要点を。

テーマは「余白」だ。

え?じゃあ、いままでの前文。なんだったの?
これが余白とどう結びつくというの?
むしろ画面の余白を長ったらしい文字で、
潰してしまっているじゃないか。

その通りだ。
申し開きもない。
こうやって、自分は今まで大事な余白を潰してきた。
考えることに、軽やかな自由を与えてくれたかもしれない余白を、
理屈っぽく、うだうだと、言い訳がましく、
伸びきったうすら長い蛇足で、埋めてきてしまった。
簡単に言おう。

「いらんこと」をしゃべってきた。
「いらんこと」を書いてきた。

歌詞とは、短いものだ。
ほんの数十行の、表現だ。
だから「何を書くか」よりも
むしろ「何を書かないか」の方が
大切なときがある。

ただ静かに、そこに言葉を置けるのなら、その方がよっぽどいい。
「ありがとう」という5文字から、
自由に、豊かに、聴き手に想像を始めてもらえるのなら、
そちらのほうが歌として遠くに、そして深くに、たどり着ける。

説明過多は歌を縛る。狭くさせる。
書けばいいってもんじゃない。
いらんことを書いては、野暮なのだ。

どこぞの大先生だって、言っていたじゃないか。
「行間が大事だ」って。
いや、たぶん言っていたと思う。
はっきりとは覚えていないけれど、
大先生と呼ばれるひとはたくさんいるから、
だれかひとりくらいはそれを言っていたと思う。
ああ、これもどうでもいい言い訳だ。
また余白をつぶしてしまった。

想像力が立ち上がるために必要な
「余白」という広場を、
どう残すか。どう生むか。
本当の難しさは、そこにある。

これは、歌を書くことに限らないのではないか。

音楽も。文章も。絵も。建築も。サービスも。教育も。

書かれていないもの。
描かれていないもの。
造られていないもの。
創られていないもの。
教えられていないもの。
表されていないもの。

でも、とっても大切な、なにか。
それは多くの他者と、
喜びや、楽しみといったたぐいのものたちをわかちあうために、
実は決定的に大事なものなんじゃないか?

あなたにとって「余白」ってなんですか?

それを、ひとつの問いとしたい。

HIROBA

水野良樹

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