2019.6.12
ESSAY

関取花 連載第2回 喫茶店にて

やられた。いや、やってしまったというべきだろうか。つい先日、喫茶店でこの連載の原稿を書いていた時のことである。

喫茶店にて

やられた。いや、やってしまったというべきだろうか。つい先日、喫茶店でこの連載の原稿を書いていた時のことである。

その日は丸一日オフだったにも関わらず、珍しく早起きをして朝から洗濯や掃除なども済ませ、誰に会うわけでもないのにきちんとした格好をして外に出かけた。二時間ほど散歩をして、さてそろそろ原稿を書くかと思い、私はとある喫茶店に入った。

本来、いつもこういった書き物の作業をする時には私は近所のファミレスに行く。オフの日であれば昼過ぎくらいまではひたすら寝て、夕方くらいからノロノロと動き始めるというのがいつものパターンである。知り合いのバンドのTシャツにジーパンにメガネという出で立ちで、ほぼ空気の抜けた自転車に乗ってお店へ向かい、そこからはドリンクバーと自分の席を行ったり来たりしながらひたすら作業に没頭するだけである。

しかしその日は違った。天気も雲ひとつない快晴で、まるで神様に祝福されているような気分だった。間違いない、今日はファミレスじゃない。喫茶店に美味しいコーヒーを飲みに行こう。そう決めた私はいつもとは違う少し優雅なお店を探す旅に出た。

せっかくだから太陽の日差しが入ってくるような大きな窓があるお店、できれば窓際の席が良いなあと思いながらぷらぷらと歩いていると、ほどなくしていい感じのお店を見つけることができた。
店内は小さめの音量でジャズが流れていて、お客さんも品の良いおじいちゃんやおばあちゃんばかりだった。年季の入った色あせたメニューなんかもまさに理想通りで、私はその日の作業場所をそのお店に即決した。席に着き、濃いめのコーヒーにうっとりしながら私は早速原稿を書き始めた。

“時々、今にも物語が始まりだしそうな場所に出会うことがある。そういうところで飲むコーヒーは心なしか深みがある。”

的な書き出しだった気がする。すっかり口元に髭をたくわえた浪漫あふれる紳士の気分である。

今思うと恥かしすぎて穴があったら入りたい。というかジャンピング土下座しながら、もはやそこにダイブしたい。とことん雰囲気に流されやすく、すぐに気分が浮かれて背伸びしたくなってしまうのは本当に私の悪い癖である。
しかしそうなっても早々にハンマーで頭を殴られるような出来事が必ず起こるのも『関取あるある』である。ということで、その日も事件は起こった。

トイレに行きたくなった私は、貴重品だけをポシェットに入れて席を立った。用を済ませトイレから戻りもう一杯コーヒーを注文したあと、ちょっと休憩がてら音楽でも聴くかと思いスマホを取り出そうとしたら、ポシェットがないことに気付いた。
一瞬かなり焦ったが、トイレに置いてきたことをすぐに思い出し、取りに行こうと思ったちょうどその時コーヒーが運ばれてきた。このタイミングで席を離れるのもなんだか申し訳なく思ったので、店員さんが立ち去るまで席で待機をし、いなくなってすぐに私はトイレへ向かった。

トイレに行くと、ポシェットは何も変わらない様子で置き忘れた場所にいてくれた。ホッとしたと同時に、そりゃそうか、こんな雰囲気の良いお店でまさか盗む人なんかいないよなと思った。ろくに確認もしないまま、なぜかむしろホクホクとした気持ちで私は再びパソコンに向かった。このあと絶望することになるとはつゆ知らず。

心が豊かモードというか、自分の世界に入り込んでいる時の私は作業が異常に早い。この時も無双状態で約3000文字の原稿をスルスルと書き終えた。一度はあたふたしたものの、まだまだ髭をたくわえた紳士の気持ちのままきちんとコーヒーも飲み干し、さあそろそろここの喫茶店を出ようかとレジへ向かった。そして財布を開いたその時である。

…ない。

いや、あるのだ、財布は。

ないのはお札だ。お札だけが綺麗に抜かれていたのだ。

私はこのお店に入る直前に、間違いなくコンビニのATMで二万円を下ろした。そのあとはもちろんどこにも寄り道はしていない。でもないのだ、二万円が。

もうこうなってくるとお店にいるすべての人を疑いの目で見てしまいそうになる。自分の心がみるみるうちに荒んで行くのが手に取るようにわかった。
しかしここで誰かを憎んでも仕方がない。そもそもトイレにポシェットを置き忘れた自分が悪い。ひょっとしたら二人の諭吉に急に足が生えて逃げ出したのかもしれない。

「財布の中とか狭すぎてやってらんないっしょ」
「身体半分に折って一日中過ごすのとか勘弁だわ」
「持ち主には長財布を全力ですゝめたい」
「いやマジそれな」

みたいな会話をしていたかもしれない。そんなことを考えていたら少し気持ちが楽になってきた。というかそう思うことにした。そしてどうせならこの出来事の元を取りたくなってきたので、私は思い切って原稿を一から書き直すことにした。

それまでに書き上げていた原稿を軽く読み返してみたら、プンプンにおってきそうなほどくさい文章だったので、むしろ我に返ることができてよかった。全然コーヒーの味とかわからないのにちょっと語ってるし、なんか無駄に漢字多いし。穴があったら入りたいというか穴がなくても入りたくなった。なんなら自分で掘ります、シャベル買ってきますというレベルだった。

そんなわけで、この原稿は結局いつものファミレスで書いている。やはり慣れないことはするもんじゃない。薄いオレンジジュースか粉っぽいココアでも飲んで、BGMで流れている少し前のヒット曲を聴きながら着なれた服で作業をするのが一番だ。その方が、普段通りの私らしい言葉がちゃんと出てくる。少し授業料は高くついたが、二万円と引き換えに私はまた一つ学ぶことができた。めでたしめでたし。いや、めでたくはないか。

いやはや、第一回目からくだらない話を書いてしまったので今回はもう少しイイ話でも書こうかと思っていたのに、このざまである。人生そんなに思うようにはいかない。
でもこういうやるせないこととかが、実は曲を作る上での一番の原動力になったりもする。そういう話もいつかきちんと書こうと思う。その時は、いつもの近所のファミレスで。

関取花(せきとり・はな)
愛嬌たっぷりの人柄と伸びやかな声、そして心に響く楽曲を武器に歌い続けているミュージシャン。
昨年はNHK「みんなのうた」への楽曲書き下ろしやフジロック等多くの夏フェス出演を経て初のホールワンマンライブを成功させた。
2019年5月8日にユニバーサルシグマよりメジャーデビュー。
ちなみに歌っている時以外は、寝るか食べるか飲んでるか、らしい。
関取花オフィシャルサイト
<最新情報>
関取花ライブハウスツアー「梅雨だくツアー2019」
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