2019.10.9
TALK

HIROBA Part 3
自分という存在を開いて、自分のなかに他者を入れる

今年4月にHIROBAがスタートして、半年が経過。
その間にふたつの音楽作品をリリースし、
さまざまなジャンルの方々とも言葉を交わしてきました。
そのなかで生まれた思いや、今感じている課題など、
「HIROBAのいま」を全3回にわたって水野良樹のインタビューで届けます。

Part 3 自分という存在を開いて、自分のなかに他者を入れる

──高橋優さんとの楽曲制作を通じて、「矛盾するものをどう成立させるか」ということに、楽しさを感じるようになったとおっしゃっていました。
参照:HIROBA TALK 水野良樹 Part 2 「凪」という表現が、高橋さんの個性。僕では絶対に出てこない。

水野そこは変わらずにありますね。矛盾を成立させることはすごく大事な視点だと思っています。

もうひとつ、最近思うのは、「自分という存在を開くこと」。今までは、自分という存在と、他者という存在が、それぞれ分断されていて、はっきりと分かれていました。違った考えを持つ他者とどう向き合うか、ある面では矛盾していることがあって、他者とは相容れない考え方があったり、その相容れない部分をどう成立させるかによって、作品が生まれたり、新しい答えが生まれていくことが大事だと言っていました。

今は、自分という存在を開いて、自分のなかに他者を入れるという考え方、そういうイメージも大事だなと思っているんですね。

というのは、いろいろな方々との対談のなかで、そのイメージにつながる言葉が数多くあったんです。

例えば小杉幸一さんはアートディレクターとして、簡単に言うと、「誰かが頭のなかでイメージしていることを具現化する」ということをされています。他者がイメージしていることを、小杉さんは自分のなかに入れて、それを自分の技術やアイデアで整理してデザインに落とし込む。それは相手の思考を自分のなかに入れているということですよね。ただ、相手のイメージそのままかというとそうではなくて、小杉さんの視点が加えられてデザインとして成立させている。他者のストーリーを自分のなかに内包させて、自分の血肉にしていくことは人間としてすごく正しいことなのかもしれないと思ったんです。人間の表現というのは、今まで出会ったり、経験したすべての物語が、自分というフィルターを通って出ていくことなのかもしれないと、最近思い始めているんです。

参照:HIROBA TALK 水野良樹×小杉幸一 Part 1 デザイナーというよりは翻訳家

そうするとHIROBAをつくったことの意味にもつながっていきます。「場」というのは、それぞれの人の人生や背景を受け入れていきますよね。HIROBAもいろんな人が集まってきて、それぞれの人の人生や背景を受け入れて、そこに新たな物語が生まれる。HIROBAにいろんな人の物語が内包されていく。それがHIROBAの表現になっていく。どれだけ他者のストーリーを自分のなかに入れることができるかが、大事なポイントだと思っています。それが気づきとしてあって、今、創作をする上でのヒントにもなっているんですよね。

僕は「曲は器なんです」ということをずっと言ってきました。例えば「ありがとう」であれば、結婚式でご両親への感謝の気持ちを伝えるときの器になって、そこにみなさんの感情を入れてもらえたらと。その構図こそ、まさに他者のストーリーを受け入れることだなと。

「上を向いて歩こう」なんかは、まさにそうで、何十年にもわたって膨大な数の人の物語を受け入れていったわけですよね。そして受け入れていった歴史が、あの曲の歴史になっていった。スタンダードになる曲は、どれだけ多くの人の物語を受け入れる包容力を持っているかが大事で、それこそが歌というものが大衆的であったり、多くの人の物語を受け入れるキャパシティーを持っている表現だということだと思います。僕が書いた曲が、出会うことのない人、僕が死んでから生まれる人にもつながっていく、その人の物語を受け入れる存在になる可能性があるというのはものすごくロマンがありますよね。

そう考えると、HIROBAという「場」をつくったことは大正解だったと思います。「人」にフォーカスして、水野良樹のソロプロジェクトという形をとっていたら、僕が死んだら終わってしまう。でも「場」であれば、僕がいなくなっても残りますからね。そこに常にいろんな人が入ってきて、HIROBAが形づくられる。

「僕が死んでも曲は残る」と僕はよく言っていますが、それと同じことです。

まだまだ言語化できないことはたくさんあるけど、言語化できなくても思っていたからこそ、今この「場」にたどり着いていると思うんです。さまざまな経験を経て、ようやく言語化できるようになってきたことが増えてきた。それが楽しいですよね。

──そして、その言語化できてきたことを、多くの人もその“共感のかけら”を持っているんだと、いろんな場面で感じられることが多くなってきましたよね。
水野本当にその通りですね。うれしいですよね。

「ドキュメント72時間」のトークショーにしてみても、ドキュメンタリー番組という音楽とはまったく違うものをつくっている人たちとつながるとは、正直思っていなかったですからね。でも、実際にお話してみると根幹的な姿勢は同じなのかもしれないと思う部分が多くて。

4月に始めた頃は「何をしようとしているんだろう」という状況で、予感はずっとあるけど、「どう進めよう」といった感じでした。今は、その危機感や怖さは通り越して、見えているけど実行できないという、いい意味での「もどかしさ」がある。もう少し時間があったら、もっといいものにできるということが、いくつも見えてきている。つまり、「やればできる」という現実的な課題に変わってきている。何も見えないという苦しさから、もどかしさに変わっていて、それはものすごい進歩だと思います。それを繰り返して、さまざまなことを経験して、成長していく。対談していると気づきがあって、それはHIROBAだけではなく、自分の創作のエンジンにもなる。それはすごく大きなことですね。

──他者と「向き合う」のではなく、他者を「受け入れる」というイメージで、人との接し方も変わっていきそうですね。
水野他者とのそういう向き合い方があるということに気づけたのは大きいですね。

そう考えると、今、自分が好きになったものも説明ができるというか。講談師の神田松之丞さんが好きなんですけど、講談の知識なんてまったくなかったのに、どうして自分はこの人にこんなに興味を持つんだろうと思っているんですね。松之丞さんの講談が素晴らしくて面白いからなのは当たり前ですけれど、それ以上に惹かれる理由はなんだろうと。

彼の講談の背景には、歴史に埋もれていってしまう話がいくつもあるなかで、それを伝えるという彼の使命があるわけですよね。彼の口から話されることでよみがえっていく物語がたくさんある。その使命を感じている。

神田松之丞さんのインタビュー本で読んだんですが、彼は大学生の頃に膨大な数の落語や古典芸能を、客として観たと。古典芸能の素養を自分のなかに入れ込んで、弟子入りした瞬間に客としての自分を終えて、それまでに観て勉強したものを、今ふんだんに使っているという。それこそ、物語を自分のなかに受け入れて、自分のフィルターを通して表現するということにつながりますよね。

僕らの時代は、ひとりの人間が自分の言いたいことを表現して、唯一無二のものをつくるみたいなところがあるけど、誰かがつくったものを、秘伝のタレを足していくように、自分のものにしながら、ちゃんと次の世代にもつないでいく。他者を内包するということを、歴史と呼べちゃうくらいの長い時間軸や、膨大な数の人間がつないできた技術伝承のなかで体現されている。だから、魅力を感じているんだと思うんですよね。松之丞さんの口を通して、聞き手はもっと大きなものに触れさせてもらっている。それがヒリヒリするというか。

──ということは、今、いちばん会いたい人ということですよね。
水野そうですね。でも、ただの知識の浅いファンなので、好きすぎて…ちゃんと話せるかどうか…(笑)。

とにかく、他者を受け入れるということが、これからの自分のひとつのテーマになりそうな気がします。

(おわり)

Text/Go Tatsuwa

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