2019.12.6
TALK

【大野先生に聞いてみました】
HIROBA with 大野雄二
第1回
音がないから、音がある。

12月6日に全国ロードーショーで公開される映画『ルパン三世 THE FIRST』。
「ルパン三世」では史上初となるフル3DCGアニメーション作品ということでも話題を集めています。監督は山崎貴さん。そして音楽はもちろん、大野雄二さん。
今作のエンディングテーマ「GIFT」の作詞を、大野先生からご指名いただき、水野が書かせていただくことになりました。
今回の「大野先生に聞いてみました」は、映画公開を機にリリースされる『ルパン三世 THE FIRST』オリジナル・サウンドトラックのブックレットで行われた特別対談のアフタートークとして、水野がいろいろな疑問を大野先生にぶつけてみた、おしゃべりの模様です。
お話は、当初、ジャズプレーヤーとして自由な即興演奏の最前線にいた大野先生が、制約の多いCM音楽のお仕事を始めて、さまざまな気づきがあったというところから始まります。すべての音楽家、音楽ファンに読んでいただきたい、楽しくて、発見に満ちた大野先生のお話です。

第1回 音がないから、音がある。

水野「制約があったほうが面白い」というところが僕は響いてしまって。最初は自由の極地のような、ジャズの最前線でピアノを弾いていらした。それが今度は逆に、制約ばかりのCM音楽のお仕事をされたことで感覚が変わっていく。
自由に弾かれていたときの自分の状態ではもう弾けないんだっていうことをおっしゃっておられました。今、ひとりで作曲をされているときと、ジャズピアニストとしてピアノを弾かれるときと、どっちが楽しいですか?

大野どっちとも言えないな。若いときは若いときでガムシャラというか、信じているんだよね、「これが一番いい」と。自由に全力投球でウワーッって弾くことが一番いいと思って弾いてた。じゃあ、そのときの自由な演奏を今やれと言われても、もう今の自分はいろいろなことを経験で知ってしまっているからできないな。
今はね、理性的になっている自分が必ず(頭上を指差して)この辺から見ている。オーバーしそうになるときに「バカやってるんじゃないよ」ってすごいクールに言ってくれる自分がいるんだよね。これはこれで、だからこそできる演奏があるわけ。若いときの自分にはできない演奏が。
これは哲学的みたいなものだけど、音ってね、休みがないと音は“ない”んだよ。どこかに休みがあって、はじめて音符があるから。シンコペーションを例にとってみてもね、音がひとつあるときに、そこから平坦にバーっと音を連ねても、あんまり良い感じがしないんだよね。だからそこに音符の長さの違うものや、どこかで休みを入れる。それがシンコペーションだよね。そういう工夫によって音が“ある”ってことが“ない”ことの証明になり、音が“ない”っていうことが“ある”っていうことの証明になって、それが良かったり悪かったりする。そういうことがだんだんわかってくる。

だから、俯瞰して考えていくと、いかに無駄な音をいっぱい使って弾いているかってことに気がつくようになるんだ。もっと休んでもいいんだよって。例えばトリオで演奏していると、自分が弾いているでしょ、ベースも弾いているでしょ、ドラムもいるでしょ。そうするとピアノの自分が8小節ぐらい休んだって何の支障もない。

水野はい(笑)。でも、埋めていっちゃいますもんね。

大野ね。埋めちゃう。でも休んで、あえて弾かないことがスリルにもなる。この人、次はどこから出てくるんだろう?何か意味があって弾かないんだろうか?ってね。

水野自由に弾かれていた頃と比べて、他の演奏者の音の聴こえ方というのは、変化がありましたか?僕はジャズのセッションというものをちゃんと理解できていないと思いますが、ポップスのミュージシャンたちも、いい演奏家だと呼ばれる方々は決まって、他の演奏者の音をよく聴いているように感じています。彼らは自分の音よりもむしろ、他の演奏者の反応に集中力を使っている気がして。
CM音楽をやられて俯瞰する視点を持たれた。音楽における“ある”と”ない”ということの価値観を獲得された。そうなったときに例えばベーシストの音であったり、ドラマーの音であったり、すべてが見えすぎてしまって演奏に影響することはないんでしょうか。

大野一言でいうと、CM音楽っていうのはスタジオで録るわけ。スタジオで録るってことはプレーバック(再生)するんだよね。演奏家としてジャズだけをやっていた若い頃は、スタジオレコーディングっていうものをほとんどやっていない。全部ライブだから。で、ライブは当然プレーバックがない。

水野なるほど。

大野だから「終わった!ワーっ!」で終わっちゃうの(笑)。そうじゃなくて、スタジオ録音はその場でプレーバックするから反省させられるわけ。

水野はいはい(笑)。

大野それを何十年もやっていると、ものすごく人の音を尊重して聴くようになるんだ。特に自分の演奏をプロデューサー的な立場で聴いていると「こいつ、余計な音をいっぱい弾いてるな」というのがどんどんわかってくるんだよ。その経験がすべて流れとなって、また今度ピアノを弾いたときに自分の演奏に影響が出てくる。

水野それは作曲にも影響してくるんですか?

大野うん、そうだね。おおいに。

水野そのお話とつながるかもしれないですが、メロディも言葉も、無駄な表現になってしまうというか、つい冗長になりがちじゃないですか。だから、削いでいきますよね。とはいえ全部削いで、完全な無音になってしまったら駄目なわけで。つまり、残すものを選んでいくわけじゃないですか。その「最終的に何を残すか」という感覚はどう養っていかれたんですか?

大野だから、すべてが禅問答みたいなもんでね。

水野はい(笑)。

大野まずね、ジャズを演奏するにしても、演奏中の法律、ルールみたいなものは1曲のなかで、すごく短い時間で次々と切り変わっていくものなんだということを理解しなきゃいけない。
弾きすぎるな、弾きすぎるなとは言いながら、ある瞬間では弾きすぎていたほうが良いわけ(笑)。その部分では、もう法律が変わっているの。だから、ほんとに禅問答。
でね、今の8小節はこういう法律で演奏していたけれど、次の8小節からは違う法律になるんだよって、一緒に演奏している人が瞬時に理解してくれないといけない。「もう法律が変わっているのに、君、まだその法律で演奏しているの?」ってなるとつまらなくなっちゃうわけ。

水野ああ、すごく難しい(笑)。

大野それは単位の問題として考えてね、例えばピアノソロの場合、何コーラスも続く大きな単位のなかでは、どこかで弾きすぎる場所が出てきても駄目じゃない。そこではピアノがいっぱい弾いていいよっていう法律だったんですよ、ということ。
でも、そのときに、ベースやドラムが「ピアノのバックだからおとなしくしていよう」じゃなくて、ピアノのソロに一緒になって食い込んで入って来たりするのが面白かったりする。自分がウワーッと弾いているから、ドラムもそこにソロみたいに絡んで来たりとかね。バックでチンチキとか静かにやってるんじゃなくて、ウワーッって入ってくる場所もあっていい。
そうこうしているうちに、ピアノが休む。そこにベースがタイミングよくドルンドンドンって渋く入ってくる。お客さんからすると、今まで主役だったピアノがいないことによって、余計にベースが浮かび上がってくる。だから、そこではピアノが“休んでいる”ことがかっこいいってなるんだよね。

水野ああ、なるほど。

大野演奏中の法律がしょっちゅう変わっているなかで、演奏している人たちがものすごく優秀だと瞬時に理解してくれて、「あ、ここはバックだけど、おれの出番だな」って絡んできてくれる。
このね、「バックだけど、おれの出番」っていうのはすごく難しいんですよ。

水野はい。バックだけど、おれの出番。無音の出番ってことですよね?

大野うん。主役はピアノなの。でも、その合間で、ドラムが「ゴッ」とかって一音叩いただけで、ピアノのフレーズを生かす。
「ここを生かすためには、おれが何とかしなきゃ」っていうのは、主役っぽくないけど、考えようによっては、それも一種の主役なわけでしょ。
でもそこで、出しゃばりすぎちゃって存在がありすぎちゃっても駄目、ということを理解している人がかっこいいんだよ。
ものすごくクールに、何もしないで、ちっちゃい音でチンチクチンチクってやっているところに、すごくいいシンコペーションで、ピアノがコンッって一音弾く。そこにドラムが韻を踏むように応えて、どこかでコンとかって入る。でも、そこからまたしばらく黙っちゃう。そういうのがかっこいい。

水野(笑)すごいな。

大野これがね、アレンジとしてつくっちゃ駄目なのよ。

水野そうなんですね。

大野ジャズのアドリブの場合は。

水野でも、当然、大野先生はアレンジ(編曲)もされるわけじゃないですか。今のお話、ジャズのセッションのなかで行われていることは、ある種、会話ですよね。立体的な考え方で「今、おまえが前に行ったから、おれは後ろに行く」っていうことのコミュニケーションがずっと…。

大野そう、続いている。

水野楽曲の時間軸のなかでそれがずっと続いていて。でも、演奏者間のフォーメーションもどんどん変わっていく。「この4小節では君が前。次の4小節はおれが前」って。お互いに瞬時に理解できないといけない。常に立体的に、すべてが動的な時間経過を、みんなで楽しんでいるわけですよね。

大野そう。

水野だけど、大野先生が今、映画音楽とかでやられていることは、作曲家として全体をプロデューサー視点からコントロールすることじゃないですか。

大野はいはい。

水野これも、また禅問答ですよね。演奏家としては、チェスの駒同士だったものが、作曲家としてはチェスの駒を上から俯瞰で見るみたいな。そのときの難しさっていうのはないんですか?どの視点から、曲をつくりはじめるのか。

大野曲をつくるときに、さっきのジャズの当てはめ方みたいなものは当然あるんだけれど、これには限度があるわけ。特に弦(ヴァイオリン、チェロなどの弦楽器)の人とかは譜面に書いていないものは弾かないでしょ。

水野はい(笑)。

大野だから、弦の人たちも含めて、いかに、そこに「つい参加してしまった」かのような、「ついこう弾いちゃいました」的な感じに聴こえるアレンジにするのかっていうのがね、難しい。
いかにも「できていますよね、これ。きっちり考えたから、こうなっていますよね」っていうアレンジは、わざとらしくなるわけ。アレンジをやり始めた最初のうちって、みんなそうなんだけどね。どんなにそう見えないように書こうと思っても、なかなか難しい。でも、ベテランになってくると、それをうまくできるようになってくるというか。

(つづきます)

大野雄二(おおの・ゆうじ)
1941年生まれ。ジャズピアニスト、作曲家、編曲家。
小学校でピアノを始め、高校時代にジャズを独学で学ぶ。
藤家虹二クインテットでジャズピアニストとして
キャリアをスタートしたのち、作曲家としても活動。
CM音楽のほか、「犬神家の一族」「人間の証明」
「ルパン三世」「大追跡」などの映画やテレビの音楽も手がけ、
数多くの名曲を生み出している。
近年は再びプレーヤーとしても活動し、都内ジャズクラブから全国ホール公演、
ライブハウス、ロックフェスまで積極的にライブを行う。
オフィシャルHP
オフィシャルTwitter

Photo/Kayoko Yamamoto
Text/Yoshiki Mizuno
Hair & Make/Yumiko Sano

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