2020.1.8
TALK

水野良樹と音楽にまつわるアレコレについてともに考えるクリスマスミーティング! Part 1
マジで、どうしよう

いきものがかり5年ぶりのオリジナルフルアルバム「WE DO」発売を記念して、
昨年12月25日にnoteでイベントを開催しました。

その名も「水野良樹と音楽にまつわるアレコレについてともに考えるクリスマスミーティング!」。

noteクリエイターのみなさんからのさまざまなご質問にお答えした
イベントの模様を2回にわたってお届けします。

Part 1 マジで、どうしよう

お集まりいただき、ありがとうございます。よろしくお願いします。

今日「WE DO 宣言」ということで、いまの事務所を離れて3人で新しい会社を立ち上げ、新体制で活動を続けていくことを発表しました。

あまりないことだと思いますが、現在所属している事務所からもコメントを出していただき、本当にありがたいことに背中を押してもらうように寛大に送り出していただきました。

今日は「これからどうしていこうかな」ということをみなさんとお話して、ご意見やアイデアもいただけたらと思っています。

思った以上に静かで緊張しています(笑)。

いきものがかりが新体制でこれから進んでいくにあたって、僕がいま思っているのは…これです。

マジで、どうしよう。

わりと本音ではありますが、もちろん何も準備せずに進んできているわけでもありません。

現在の事務所には約15年お世話になりました。大変ありがたいことにたくさんの人に僕たちの音楽を聴いていただき、音楽というもので生活することができています。その経験を踏まえて、もっと自由に、自分たちのコントロールが利くところでやってみたい気持ちもあり、前に進んでいる状況です。

このミーティングを進めるにあたって、まずは3つの問いを立ててみました。

1. “みんなのうた”は実現できるか
いきものがかりは、老若男女、幅広く聴いていただけているグループだと思っていて、それは僕たち自身も志向していることです。

もともと路上ライブからスタートしたグループですので、お客さまを選べないんですね。ライブハウスのようにお金を払って会場に入ってくれる音楽好きの方々にどうやって喜んでいただくかというよりは、音楽に対して全く興味がない人もいる路上で、目の前を通り過ぎる人たちをどう掴むかというところからスタートしているので、そういう志向になっています。違う文化を持った人、違う価値観を持った人、そもそも音楽を必要としていない人にも、こちらを向いてもらって、聴いてもらえるかということをすごく考えてきて、今もそのつもりでいます。

“みんなのうた”という言葉を定義してしまうと、それ自体も虚構になってしまうので難しいですが、普遍的に多くの人たちに届く、つながる、リンクする歌は可能なのかどうか。

今日もnoteというサービスのなかで、みなさんに応募いただきましたが、今はさまざまなSNSがあって、Instagram、Twitter、Facebook、それぞれに文化がある。テレビ、新聞にもそれぞれの文化や文脈がある。そのなかをエンタメの作品はそれぞれの形で通っていきますが、メディアの優劣がはっきりしていた昔のように、大きなメディアであるテレビから曲が流れると多くの人に届くということは今はなかなかありません。そういった社会状況のなかで、そもそも“みんなのうた”は実現できるのだろうか。音楽が社会で身近なものとして、ポップカルチャーとして、存立できるのだろうか。そういったことを常に考えています。

2. 広場になれるか
いきものがかりとは別にHIROBAというプロジェクトを始めました。

僕が高校生だった1990年代後半から2000年代前半は、CDがバンバン売れていて、いろんなアーティストがスーパースターとして活躍していた時代です。「ミュージックステーション」「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」などの音楽番組がたくさんあって、アーティストのパーソナリティを番組でうまく掘り出して、タレント的なパーソナリティもリスナーを惹きつける要素になっていて、作品と強く結びついているものも多くありました。

そういったパーソナリティに頼ったり、曲をつくった作者が「この曲はこうだ」と定義づけるのではなく、聴いてくださるみなさんとの間に曲をポンと置いて誰でも手が届く。例えば、歌のなかで「僕」という人称が使われていても、必ずしもその主人公が作者の僕であるわけではなく、歌を手に取った人が自分のこととして聴けるような作品が成立するだろうと思ったんです。作品に結びつきの強い人がキーパーソンになりすぎてしまうのではなく、「自由に入って、自由に出ていける、広場のような作品がつくれないものか」という思いが自分のテーマとしてありまして、HIROBAのプロジェクトにつながっています。

3. “ぼくらだけ”は実現できるか
音楽作品をつくると、その次には作品を「届ける」「広げる」という工程が出てきます。そのときにメディアが必要になって、その力を借りる。音楽番組に出せていただく、ラジオの番組に出させていただく。フェスもある種メディアのひとつで、用意された舞台にどのように出るのか、あるいは出ないのかという選択も重要になっていました。

今の時代を見てみると、SNSの力を使ったりすることで、作品そのもの、アーティストそのものがメディア化しているのは、みなさんもご存知だと思います。とはいえ限界はありますし、既存メディアの力も強いですし、それぞれに個性もあります。コンテンツとメディアがほぼ一緒になるような状態で、「作り手自身がメディアと一体化したものになれるのだろうか」「既存のメディアを介さずに届けること、広げることはできるのだろうか」ということは少しずつ考える必要があるかと思います。

CDのフォーマットや流通のシステムが作品自体に影響を与えるという歴史がずっと続いていて、自分たちのメディア、自分たちのフォーマットで、既存の形に頼らないで実現することはできるのだろうか、いや難しそうだな、ということを考えています。

HIROBAをやっていますが、お金は出ていくばかりです。noteは課金ひとつをとってもプラットフォームとしてやってくれる。決済のシステムを個人でつくることは難しいですから、作り手を助けてくれている。ただ、テクノロジーが進歩して個人間で決済ができるようになると状況も変わってくる。そもそもメディアが必要なのか、流通のシステムが必要なのかという話がいろんなタイミング、いろんなレベルで出てくる気がしています。

何か新しい考えが僕のなかにあるわけではないですが、大きな組織のなかで自分たちの舵取りをしていくことは難しいところがある。3人の責任を背負って、3人の事情を背負って、少しでも長く活動を続けていくために、今回の「WE DO 宣言」に至りました。

ということで、今日はアンケートをお手元に配っております。

「水野良樹、いきものがかりは、これからこんなことをしたらいいんじゃないか」「作り手が世の中に作品を届けるときのアイデア」などについて、みなさんからご意見をいただいて、お話できたらと思っています。

ちょっとメモみたいなことも書いてきました。

“みんなのうた”について少し話すと、よくアーティストがお客さんを前にして「みんなに歌ってるんじゃないんだ、君に歌っているんだ」みたいなことを言いますよね。僕はボーカルじゃないので言ったことはないんですけど(笑)。あれは意外と本音で、ひとりひとりの経験につながっていきたいという気持ちがある。ただ、ちょっと気をつけなければいけないのは、「理想化された私」みたいなものがあるんですね。まさに1990年代後半くらいは、「自分らしく生きよう」「個性を大事にしよう」と盛んに言われて、自分らしさについてものすごく考えさせられました。よくよく考えると、そのときの「等身大の自分」「自分らしい自分」というのは、理想化された自分なんですね。

僕が言いたいのは、そういった理想化された自分ではありません。

みなさん、日々の生活のなかで現実的な事情を抱えている。それはハッピーな状態もあれば、厳しい状態もある。どのような状態にあるにしても、「その人自身が語り出す言葉」「思っていること」につながる歌を書くことはできるんじゃないかなと。個人それぞれが持っている世界にスッと入って、みなさんの主格につながっていくというイメージが漠然とあって、そういう歌の成立の仕方はあるかもしれないなと夢想はしています。いきものがかりの「SING!」は、日々の生活を送るみなさん自身が「自分のことを語り出そう」「自分の幸せは自分で定義していこう」ということを歌えないかなと思って書いた曲です。

では、アンケートのご質問に答えていきたいと思います。

──音楽業界から作品に限らず、想いを届けていく時にどんなメディアを使っていくのがよいと考えていらっしゃいますか?それぞれ活用方法は異なると思いますが、HIROBAとの使いわけ、立ち位置は今度どのように作っていこうとしていらっしゃるのか伺いたいです。

ありがとうございます。どんなメディアを使ったらいいと思いますか?(笑)

やっぱり、メディアごとの出口にいる人が誰であるのかを予想しないといけないですよね。その出口にいる人に応じてメディアの形は日々変化しているような気がするので、そこに対して意識しながらそのメディアでどういう発言をするのか、どういうパフォーマンスをするのか、そのメディアに出ないということも含めて選択していかないといけない。

何か適性のあるメディアを選ぶということは難しくて、例えばテレビだけ出ていればいい、ラジオだけ出ていればいいということもないですし、いきものがかりや僕の主張としてもそれは違っているし、ひとつのメディアやひとつの場所だけで多くの人に届くという時代は、はるか昔に終わっている。関わるメディアが増えていくと、メディアごとにコミュニケーションを取らないといけない。そうなると、ひとりの人間やひとつのチームだけでは処理しきれないんですよね。だから、所属事務所やレーベルといったチームを組んで、いろんな人たちとのコミュニケーションを取ったり、いろんなタイプのプロモーションを仕掛けていくわけです。

そうすると、「“ぼくらだけ”は実現できるか」ということを長期にわたって考えていくことになります。

例えばテキストメディアでいうと、作家さんは雑誌や書籍など、出版社との関係性を考える必要がある。それだけでは生活ができないので、講演で話をする、コメンテーターとして喋るといった、テキストを書く以外の行為によって生活を維持したり、作品の質を維持したりしないといけない時代が続いているなかで、noteがあることによって、そのひとつのポジションだけあれば、読者とのつながりも持てるし、お金も稼げる。自分が思ったように作品を書くことだけに集中していれば、それが叶う。noteというサービスを使うことによって実現できているということですよね。

僕らのような音声コンテンツ、映像コンテンツは条件や置かれている状況が違うので一概には言えないですが、同じようなことができるんじゃないかなと思います。

──メディアのライター・編集として、「アーティスト本人が、想い・言葉を届けられる時代にあえてメディアを介する意味・メリットは何だろう?」といつも考えています(他者の文章を介すると、意図と違うなどのデメリット・リスクもあると思います)。アーティスト・作家にとって、メディアを介するメリット、あるいは期待していることがあれば伺いたいです(もちろん情報の拡散はあると思いますが、今やSNSで、あるいはnoteで本人の言葉で伝えられるので…)。

拡散の意味は非常にあるわけですけど、この拡散というのはただ広がるということをイメージしているわけではなく、「出会うはずのなかった人と出会う」ということに、メディアに出る意味があると思いますね。

例えば、僕のTwitterには約18万人のフォロワーがいて、実際にTweetを読んでいる方はそのうち1/3くらいです。そうすると数万人が見ているメディアを持っているということになります。ただ、個人が発信できるメディアというのは、その人自身にある程度の興味がないとそもそもフォローしないですよね。

ちょっと話は変わりますが、僕は「Sports Graphic Number」というスポーツ雑誌で連載を持っているんですけど、その連載をどんな人間が書いているのかをわからずに読んでいる人もいるんですね。「水野良樹ってあの連載を書いている人だな」とフォローしたら、「この人、いきものがかりの人なんだ」っていう…これ、嘘のような本当の話なんですよ。

共同通信社で「そして歌を書きながら」という連載も持っていて、地方の新聞に掲載されるんですが、その反響もすごく大きくて。上の世代の方たちは雑誌や新聞を多く読んでいらっしゃるので、その人たちとは僕が使っているSNSでは出会えなかったと思うんですよね。メディアそれぞれが持っているつながりがあるので、ジャンルや世代で分かれてしまっているコミュニティに出会えるということがすごく大きなメリットじゃないでしょうか。仮に僕のTwitterで100万人、200万人のフォロワーが得られたとしても出会えない人がいる。

あと、人に話を聞いてもらうということがすごく大事なんですね。

新人の頃はいろんなプロモーションの場面をつくっていただいて、一日に10誌の取材を受けて同じ話を一生懸命するんですが、同じ話をしているようで実は違うんですよね。それは、聞いてくださる方の質問が微妙に変わってくるんです。もちろん定型質問もありますが、独自の視点による質問だったり、たまたま会話が違う方向に行って前の取材では出てこなかった曲のストーリーを語ることもあるんですね。

他者と話すことによって、他者の編集意図、他者が書きたいことによって、アーティスト個人では引き出せないものを引き出してもらうことも大いにあるわけです。自分自身だけで記事をつくったり、言いたいことを発言していると、どうしても一本調子になってしまうことは経験上あると思っています。メディアという違う事情で動いている人たちと出会い、そこで言葉を届けることのメリットだと考えています。

(つづきます)

Photo/Kayoko Yamamoto
Text/Go Tatsuwa

同じカテゴリーの記事