2020.1.9
TALK

水野良樹と音楽にまつわるアレコレについてともに考えるクリスマスミーティング! Part 2
この広場ではおもしろいことが起こると思わせることができるか

いきものがかり5年ぶりのオリジナルフルアルバム「WE DO」発売を記念して、
昨年12月25日にnoteでイベントを開催しました。

その名も「水野良樹と音楽にまつわるアレコレについてともに考えるクリスマスミーティング!」。

noteクリエイターのみなさんからのさまざまなご質問にお答えした
イベントの模様を2回にわたってお届けします。

Part 2 この広場ではおもしろいことが起こると思わせることができるか

──今はデジタル配信、ダウンロード等で曲を聴くことが主流になっているように思いますが、CDで音楽を聴くこと、CDの発売は今後も続いていくコンテンツだと思いますか?水野さん自身のCDへの想いもあわせて聞きたいです。

CDは…どうしても趣味的なものとして残っていく道しかない気がします。CDバブルの頃はCDというパッケージが売れていただけじゃないと思うんです。音楽と関わりのないファッションや流行、社会情勢があれほど音楽とリンクしていった時代はなくて、生活必需品と同じくらいの大量生産に肩を並べるくらいになり、あの当時はCDというパッケージに利便性があった。今の100万枚と当時の100万枚は意味が全く違うし、これからは必需品に近づくような商品でもないですし、より趣味の色合いが強くなると思います。みなさん、CDの再生機器を持ってないですよね?パソコンからもCDドライバがなくなり、「CDってそもそもどうやって聴くの?」ということが起こっていますよね。

CDへの想い…それはありますよ。一生懸命つくっていますからね。それは個人的な作品への思い入れと、かなりダブっていますね。ジャケットをつくるにしても、かなりの打ち合わせを経て、デザイナーさんとのコミュニケーションを取って、カメラマンに撮影してもらって、ひとつひとつを大事につくっているわけです。そのなかに入っている音源ももちろんです。それに対して愛着が湧く、手にとってもらいたいという気持ちになるのは自然なことです。かといって、その思いが時代の流れをせき止める理由になるかというと、そうではない気がしていて、音源や作品に対する思い入れというのは違うフォーマットになっても、いろいろな形で表現できると思っています。CDにこだわることが目的なのではなく、作品に対する愛着、音楽に対する情熱を、どうやってそのままの状態でみなさんにお伝えするかにこだわっていかないといけないんじゃないかなと考えています。

──作詞、作曲、編曲の中で、AI(人工知能)が一番最初に人間と変わらないものがつくれるようになるのは、どれだと思いますか?

おもしろいですね。どれだろう?

変数が少ないものの方がいいですよね…そうすると作曲なのかな。ひとつの音から次の音への跳躍とか、そこの長さとかの法則性をつくって、いわゆるメロディメイカーという意味での作曲であればできる気がしますね。ということは、一番最初に職を失うのは僕ですね(笑)。

AIでつくったオーケストレーションの楽曲もたくさんありますし、ミックスやマスタリングのソフトも話題騒然ですが…どのくらいのものになるんでしょうね。

このあいだ、キズナアイさんの楽曲を書かせていただき、キズナアイというものがどういうコンセプトのもとで誕生したかを伺うことができました。どこが人間でどこがAIなのか、ずっと考えていくとぼんやりする感じがあって。

僕という人間が作曲をしたり、作詞をして、僕の作品として世の中に出ているんですけど、僕という人格はどう形成されたかというと、まず両親がいて、両親が僕に流入させたことがすごく多いわけですよね。さらに37年の人生のなかで、いろんな人に出会ったり、いろんな出来事を経験して、その影響の総和で僕という人格ができている。もともとゼロイチがあるわけではなく、人間の動物としての既存システムみたいなものがあると思うんですけど、ゼロのなかにいろいろなものが流入してきて、その混濁が僕という人間をつくっているんじゃないか。でも、その構造はAIと同じで、既存システムにどんなデータを入れるか、どんなルールを設定するか、その総和が処理されることによって、人間と変わりのないようなコミュニケーションが取れたり、創作ができるという構造自体は同じような気がするんです。そうすると結局、変わらないものができるのではないかと思いながら、ここからは僕の推論になりますが、「人間は不完全で偏っているんじゃないか」と。

例えば他のアーティストの方に曲を提供させていただくと、「いきものがかりっぽいなぁ」と批評をいただくこともあります。僕のつくるメロディが、水野良樹の手グセというか、そういうものが出てしまうときがあると。それは自分の技術の拙さを棚に置いて話をさせてもらうと、不完全な状態、偏りがあるというのが人間だと思うんですね。不完全さや偏りがその人らしさとなっている。その不完全な状態や偏りをAIが再現することは難しいのではないかなとなんとなく思っているんですが、専門家の方に聞いたら「そんな浅はかなものではないよ」と言われてしまうかもしれません。これからどんどん出てくるAIに対して、どう答えられるのかなとは思いますね。

みなさん、いかがでしょうか。何かご質問があれば。

──水野さんが今までつくった歌のなかで、いちばん“みんなのうた”に近づいたなと思うものがあればお聞きしたいのと、その曲がそうなった大きなきっかけが何かを教えてください。

そうですね。頭に浮かんでくるのは「ありがとう」「じょいふる」「YELL」といった、いきものがかりの代表曲として知っていただいている曲になると思うんですけど、そのなかでも「ありがとう」は特にそういう曲になったと思われがちですが、一方で考えると「じょいふる」かなと思います。「じょいふる」は…意味がないんですよね(笑)。当時、わりとバラードが何曲か続いていたり、「この歌詞の意味はなんですか?」と問いかけられることが多かったなかで、「ナンセンスなものをつくりたい」「無意味なものをつくりたい」という気持ちがすごく強くて。そのときにポッキーのCMのオファーをいただいて、しかも「ナンセンスで、踊れる、とにかく体が動き出すようなものが欲しい」というディレクションで、「これだ!」と。

その「じょいふる」が“みんなのうた”になったのは「文脈がないから」ということだと思うんですよね。「ありがとう」や「YELL」でさえ、その文脈から外れてしまう人はたくさんいて、「YELL」は卒業ソングだと言っていただくこともありますが、世の中には学校という組織になじめない人もたくさんいますし、卒業というタイミングを経ていない人もたくさんいる。「ほとんどの人が経験しているよね」と思われることでも「いや、経験していないです」ということが昔よりも増えてきていて、そうなると「ほとんどの人が経験しているから、これは普遍的になる」というようには、なかなか言えないんですよね。そうなると、そもそも文脈がなくて「言葉のハマりと音のおもしろさ」のようなものにたどり着くのかなと。

だけど、僕が目指しているのはそっちではないんですよね。無意味なもので実現するのではなく、その人自身の物語が作品に流入していくかたちを取りたいんですが、なかなかできない…すごく難しいですね。

──意図的に文脈を込めてうまくいった曲はありますか?

そうですね…矛盾するようなことを言って申し訳ないんですけど、そう考えると「ありがとう」になるのかな。ただ、「ありがとう」も意図してそうなったわけではなく、結果的にそうなったというほうが正しいんですよね。いまだに…なんで売れたか、わからないんですよね。聴く人それぞれが、その人の物語を歌のなかに重ね合わせていったということでは、確かに大きな成果がありましたね。でも、技術的にどうやって実現するかというヒントをそこから導きだすことは難しいですね。

「ありがとう」をつくったときは締め切りが迫っていて、いろんな活動もしながらの制作だったので、わりとパンク寸前のような状態だったんですよね。朝ドラのお話をいただいて4曲か5曲つくって出したんですけど…全然書けなかったんですよ。「これだ!」という感じで掴めたときは1曲だけ出すので、4曲も5曲も書いているということは何も掴めてないということなんですよね。歌詞を書いていても、どこが掴みどころなのかわからなくて。振り返ってこじつけで言うなら、「良くも悪くも自分というものを出していなかった」。多くの人の耳に触れるところに行ったときに、聴く人それぞれが「自分のこと」として聴いていただける形になったのかなと想像するだけですね。

ただ、曲をつくっているときは全部見えていました。単純にこのタイアップに合うかどうかという話だけではなく、この曲が世の中に出たときにどうなってほしいかという、もうちょっと広い目で見ていたと思います。「ありがとう」も「じょいふる」も、もちろん他の曲もそうですが、なんとなく曲が伝わっていく景色をいくつも思い浮かべて、そこから論理ができて、曲をつくってきた部分はありますね。

個人表現をしたいという気持ちが弱いというか、どこかでひねくれたというか。存在そのものを商品にする、エンタメにするということをいろんな方がやっている。それはアイドルと呼ばれる方だけではなく、ステージに立っている人は誰しもその部分から逃れられなくて。そうじゃなければヘアメイクもスタイリングもしないと僕は思うんですよね(笑)。

自分の存在自体が商品になる、自分の持っている背景が作品に透過されて、作品が自分そのものの延長線上としてエンタメ化されるのがわりと多いスタイルだったと思うんですけど、そこから早いうちから離れてしまって、興味が湧かなかったんですよね。

ただ、「自分を出したい」「自分が思うような世の中にしたい」という気持ちはわりと強く持っているほうかもしれないです。そこが、みなさんに届く理由なのかもしれないですね。

よく例に出すんですが、「上を向いて歩こう」という曲は僕にとって多くのヒントになっています。あの歌詞は、何も深いことを書いていないようで、実は深いことに触れているんですよね。何か悲しいことがあったときに、あの曲の器に応じて聴く人が気持ちを合わせていく部分が往々にあると思うんです。

僕のつくった「ありがとう」もそうですが、例えば何十年も連れ添ってきた夫婦が最期の別れのときに「いままで、ありがとう」と言うのはとてつもなく重い「ありがとう」ですが、その気持ちを僕のつくった「ありがとう」に乗せて思うとしたら、僕が書いた「ありがとう」の器に、そのとんでもなく大きな、人生がかかったような感情を注ぎ込む。そしてその器の形になってしまうのは、めちゃくちゃすごいことだと思うんですよ。

本当は形やベクトルのないはずの感情、みなさんにとって個別のものである感情を、僕の曲によって方向づけたり、ある形に収めようとすることは、強い影響力があってポジティブに捉えるとロマンなんですよね。僕が死んでも曲は残るし、「愛はこうあってほしい」「人と人はこんなふうに思い合ってほしい」というイメージが曲を通して、僕が用意したフォーマットのなかで、みなさんが感情を動かしていくんですよね。ずっと影響を与えつづけるということが、ポップソングの怖さであり、ロマンであると思っていて…その思いが強いのかもしれないですね。

──いろいろなツールができて、音楽をつくることが手軽になってきたなかで、そういうものを趣味として続けるのか、仕事にするか、その違いを聞いてみたいです。

自分にとって価値があるものを順位づけしていくと、おのずと見えてくると思うんですよね。僕の場合だと「音楽をやりたい」ということを最高の順位に置いてしまいがちなんですけど、実際はそうではなくて「ごはん食べたい」とか、「こういう生活がしたい」ということが個人で違うとは思うんですけど最優先順位にくるべきなんですね。それに対して、音楽を職業にすることはどんなリスクがあるのかということを考えると、何を選ぶべきなのか見えると思います。

「生活とかはどうでもよくて、とにかく音楽をつくりたいんだ」という人は、それはそれでいいと思いますが、その代わり自分でリスクを背負うことにはなりますよね。自分のなかで大事なことをまわりに伝える必要はなくて、簡単にいうと何の欲望がいちばん強いのか、いろいろ整理していくと自然と見えてくる。

もちろん僕たちも、いろいろな決意をしてきたし、頑張ってきましたけど、やっぱり「運」に左右される部分がすごく大きいですね。人との出会いも、タイミングもそうです。決断すればいいという話ではないと僕は経験上思います。自分にとって大事なことは何かを考えて、どんなにつらい道でも納得して進むと、あとから笑えるのかなと思います。

──ここに挙げられている3つのことは、作詞家の阿久悠さんは実現できているような気がするんですけど、なぜ阿久さんは実現できたと思いますか?

阿久さんはなぜ実現できたのかなぁ…。実現できた時期もあって、実現できなかった時期もあるから、阿久さんはおもしろいんですよね。うーん、でも難しいなぁ。そこがやっぱり人間がものをつくることの限界なんですかね。途中で時代と合わなくなってきたというか…。「自分を出すこと」と「多くの人が聴く歌」のバランスが崩れていくというか、自分を出しすぎてしまう瞬間が阿久さんにもあったと思うので。阿久さんと比べるのはおこがましいにもほどがありますけど、その限界を同じように僕も迎えると思いますね。すみません、うまく答えられていないですね、難しいな。

もうひとつヒントになるようなことでいうと、いろいろなプラットフォームがありますが、阿久さんという存在もひとつのプラットフォームだったような気がするんですね。いろんなシンガー、いろんな作曲家がやって来て、阿久さんというプラットフォームからものができる。

これから何が起こるかというと、プラットフォームを広場に例えると、「どの広場に行くのが楽しそうかな」という広場同士、コミュニティ同士、プラットフォーム同士の競争になっていくような気がします。その考えでいうと、阿久さんというプラットフォームはある瞬間から人が離れてしまったということがあったんだと思います。ひとりの作家がどれだけ他者を内包できるか、広場のように人を入れてひとつの場所として存在できるかは、作品が長く生き残る上ではすごく大事です。

ここにSMAPと書いてありますが、SMAPはまさにそうで、その時々の最先端のクリエイターたちがSMAPの曲をつくったり、ジャケットをデザインしたり、PVを制作したりとか。SMAPという存在が国民的なメディアになっていて、そこにクリエイターたちがどんどん作品を出していった結果、とてつもなく大きなグループになったんだと思います。

だから、「この広場ではおもしろいことが起こるんだと思わせることができるかどうか」が今後は重要になっていきますよね。メディアだけではなく、僕みたいな作り手もそうなる必要があると思います。

いただいたご質問は、いくつかピックアップしてHIROBAで回答したいと思います。

僕個人としても、いきものがかりとしても、新たなスタートを切っていきますので、忌憚のない意見で新たな気づきをいただいて前に進んで行けたらと思いますので、これからもよろしくお願いします。ありがとうございました。

(おわり)

Photo/Kayoko Yamamoto
Text/Go Tatsuwa

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