2020.2.17
ESSAY

そして歌を書きながら 仮面浪人、夜明けを駆けて

2019年春から、共同通信社より各地方新聞社へ配信されている水野良樹の連載コラム「そして歌を書きながら」(月1回)。

その本文を加筆修正したHIROBA編集版を、お届けします。

仮面浪人、夜明けを駆けて

それは午前4時過ぎ。
夜明け前の黒い空に地平からじんわりと群青色が足されていく。
街はもう、朝が来る予感のなかにいた。静かだった。

早朝アルバイトをしていた海老名サービスエリア。実家から自転車で走って、従業員通用口にたどり着くまで10分ほど。一日が始まる前のしんとした静けさのなかで、少し急な坂道を登っていく。吐く息は白かった。朝の起きがけにペダルを漕ぐのは大変だったけれど10代だったあの頃はそれに耐えられるだけの若さがあった。

追いかけていた目標が叶う確証などなかった。
もしかすると、この1年間は丸ごと無駄になってしまうかもしれない。きらきらと彩り鮮やかに輝いていてもおかしくない18歳という貴重な時間が、悪あがきという張り紙を貼り付けられて、思い出したくもないものとして過去に捨てられていく時間になる。やめておけばいいのにと言われたこともあったし、そもそも相談する相手もいなかったから、日々は孤独だった。

そこまでする動機が何だったのか、今でもうまく説明ができない。
青臭い意地のようなものだったのか。18歳だった自分はこの手でおのれの人生の扉をこじ開ける生々しい感触を味わってみたかった。夢中でペダルを漕ぎ、その勢いで夢ごと若い体を前に進めようとしていた。
もう20年近く昔のことだ。時の流れの早さに目眩がする。
浪人生時代の思い出話。

自分は少し変わった浪人生活を送った。
現役で都内の私立大学に合格したが、一度立てた目標が諦めきれず大学に通いながら、もう一度受験をする決意をした。俗にいう仮面浪人と呼ばれる受験スタイル。

第一志望は国立大学で、当時授業料も入学金も安かった。詳細な説明は省くが様々な金銭的な計算と家庭の事情を鑑みると、通常の予備校生となるよりは大学に通学しながら再受験をして合格を目指したほうが諸々の面で負担が少ないという判断になった。とはいえ再受験は完全なる自分のわがままだったから「受験に関わる諸費用はすべて自分で働いて払う」とよせばいいのに親に啖呵を切った。1年間の予備校の授業料や受験料は払い切ったが、結局、メシも寝る場所も親に与えてもらっていたのだから甘っちょろい子どもの背伸びでしかなかった。だが、あのときは子どもなりに通せもしない筋を通したかったのだろう。

時給が良かった早朝アルバイトで働き、バイトが終わると大学の授業へ。
授業が終わると代々木駅に向かい、バイト代で2コマ分だけ受講料を払うことができた予備校の講座を受ける。電車で神奈川の実家に帰り、復習を終えて眠ると2、3時間後には朝が来て、またアルバイトへ。その繰り返し。

大人になった自分からすると、よく頑張ったねと声をかけてやりたい気分だが当時の自分は真反対のことを考えていた。なぜ自分はもっと全力を尽くせないのだろうか。がむしゃらに頑張ってみたらわかってしまった。

「本気になったら俺はできる」なんて言葉はとんだ思い違いだった。
本気になっても自分はたいして何もできない。「頑張る」ことさえ、簡単ではない。そんな事実が喉もとに突きつけられた。理想の姿にはたどり着けない。自己嫌悪。情けなさにまみれた毎日。あんなに大見得を切って走り出したのに、なんだこのみっともない体たらくは。全然、走れてないじゃないか。

しかし自分はそのとき、はじめて理解することができた。
理想の投影ではない等身大の自分自身を。何もできない自分であるということ。みっともない自分であるということ。そしてそもそも、勉強ができ、受験ができる自分が、どれだけ恵まれた環境にいるかということ。様々な理由で「頑張る」機会さえ手にできないひとたちが、たくさんいる。

自分の背丈がわかったからこそ、背伸びも上手くなる。
過度な期待も落胆もしなくなる。やるべきことに素直に向き合える。
結果よりも過程が大切だったという言葉はその日々が過去になった人間が吐く、きれいごとだ。だが受験生よ。今君が、君自身を、そして君自身が立つ場所の豊かさ(あるいはバカバカしさ)を知れる旅のなかにいることは確かだと思う。どうかこの旅から、君の未来のために、君なりのきれいごとを勝ち取ってくれ。それが本当の勝利だと、僕は思う。

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